じゃいがオーストラリアにいるんだって!

2016年6月からワーホリでオーストラリアに来ました♪ほぼ日記ですが、日々の生活を報告していきたいと思います☆

本能寺の変

拝啓  織田信長



今私は痛いほどアナタ様のお気持ちがわかります!

あんなに可愛がっていた家臣の明智光秀に、まさか裏切られるなんて夢にも思っていなかったことでしょう。

信じていた人物に裏切られる……

心が引き裂かれる思いでございましょう。


天下統一というアナタ様の夢。

志半ばで途切れてしまったこと、心からお悔やみ申し上げます。




少し私のことを語らせてください。


私、オーストラリアという日本から遥かかなた北に位置する大陸に来ております。

ここで2年間という長いようで短い期間を過ごすつもりでございます。

私にも大なり小なり、様々な夢がございます。

見知らぬ土地で見知らぬ人と過ごす中、このいくばくかの夢を1つずつ叶えていくのが私の人生の楽しみだと思っております。


つい先日、その中の小さな夢を叶えるべく1つの約束を取り付けたのでございます。


『オーストラリアで釣りをする』


釣りとは漁業のように魚を捕まえることでございます。

アナタ様の天下統一に比べるととても小さい夢ですが、私にはとても重要なものです。

日曜日にその夢が叶うと思うと、嬉しくて何事も手につかない状態でございました。

ましてやその釣りをする場所、かねてから行きたかったバッセルトンジェッティーと呼ばれる場所なのでございます。

そこは「千と千尋」という日本の有名な映画の「海列車のモデルになった」と言われている場所なのでごさいます。

その嬉しさたるや、調子に乗って昨日ブログなるものに押さえきれぬ思いのうちを書き綴ったものです。



しかし、そんな欣喜雀躍(きんきじゃくやく:嬉しくて小躍りする様)している私を地獄の底へ落とすようなことが起きたのです。

まさに本能寺で休んでいらっしゃったアナタ様を、突如明智光秀が襲ったのと同じような状態でございます。

青天の霹靂とはまさにこのことでございましょう。



最初は3人で釣りに行く予定でございました。

私以外の2人はそれぞれ車を持っておりまする。

車とは馬より早く走る乗り物でございます。

これがないと私は釣りに行くことができませぬ。


ところが、うち1人が突然仕事に行くことになりました。

仕事とは農業のことでございます。

戦の当日に畑を耕すバカ者がおりますでしょうか?

戦わずして飯の準備をするなどあり得ぬことでございましょう。

釣りなくして仕事に励むなど、なんのために生きているのか私には理解できませぬ。


しかし私にはもう1人車を持っている人間がついておりましたので、さほど心配しておりませんでした。

しょうがないので2人で釣りに行こうと。

そう誓ったのが今日の昼頃の出来事でございます。




なのに……


なのにですよ…………



固く契った約束、舌の根も渇かぬうちにそのうつけ者は「あ、仕事の時間勘違いしてた!ごめんけど明日は行けない。」なんて言いよるのです。

あまりの驚きに私はしばし言葉を失いました。

もし神などという存在がおられましたら、私になんの試練を与えたいのでしょうか?

私が一体何をしたというのでしょうか?



車を持っているのは2人の方なので、私が強くでれるはずなどございません。

「次の休みこそ一緒に行こうね!」

これだけがうちひしがれる私が唯一発せれる言葉でした。



ほとんど手がかかっていた小さな夢。


私を嘲笑うかのように手のひらからこぼれ落ちていきました。



この悲しみ、世界中で恐らくアナタ様しか理解してくださらないことでしょう。

あまりにも私が悲しみにふけっていたので、ようやく周りの人々も事の重大さに気がついたようでした。

いくら彼らが謝ってきてももう明日は釣りには行けませぬし、私は完全にすることがなくなってしまったのでございます。


彼らにとっては「しょせん釣り」。

しかし私にとっては「されど釣り」なのでございます。


もう悲しゅうて悲しゅうて仕方ありませぬ!

こんなに辛い思いをするくらいであれば、私もいっそアナタ様のように命を終わらせてくれればよかったのにと思うばかりでございます。


「命あっての物種」


いにしえの人々はなんて愚かなのでしょうか。

人生に「次の機会」なんて存在しないのでございます。

常に「今」を生きるしかないのです。

たまたま「次の機会」を手にした人間。

それがいかほどの奇跡かもっとよく考えるべきだと私は思いまする。

その奇跡に甘んじ、いつでも「次の機会」を想定しているといつか足元をすくわれるのです。


「次の機会」がこなければ2度とそれをする機会は訪れぬのかもしれないのございます。

明日死ぬかもしれないのでございます。


私は自分の人生に悔いは残したくございません。

死ぬときは前のめりにと決めておりまする。


やりたいことをただひたすらやり抜いてやり抜いて、終わるときは「我が人生、ここまでだったか!」と潔く死にたいのでございます。





今私がどれほどの悲しみか理解できたでございますか?

あまりにも悲しみが大きすぎてそれを受け止められず、もはや自分でも意味不明な文章をブログなるものに書き綴っている次第でございます。


まるで意味がわからないので、そろそろこの辺でおいとまいたしまする。

最後に一句だけ詠ませてくださいまし。





たかが釣り


されど釣りだぞ


バカちんが!!



(じゃい心の俳句)


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